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陶器・窯元   

 窯元その1 窯元その2 窯元その3
 窯元その4 窯元その5

小石原焼   

伝統の技が土の温もりを伝える
  
小石原焼 小石原には50軒にのぼる窯元が点在し、特に国道211号線沿いと皿山地区に集中しています。
 天和二年(1682年)に黒田3代藩主光之が肥前伊万里の陶工を招き、中国風の磁器を伝え、この頃すでに小石原にあった高取焼と、この窯が交流することにより、中野焼が形成されていきました。昭和の時代になると一般的に「小石原焼」と呼ばれるようになったようです。
 かつては皿山を中心に、八戸で2基の共同窯により、大正から昭和のはじめ頃までは英彦山参拝のみやげの徳利や大型カメ、鉢、皿、すり鉢などの荒物製品づくりがほとんどだったそうです。やがて民陶ブームの到来によって共同窯は解消し、個人窯元が増え、小物づくりなども活発化しました。
 昭和33年ブリュッセルで開かれた万国博覧会日本館第3部出品でのグランプリ受賞、昭和36年の日本工芸館小石原分館の設立も今日の小石原焼発展に弾みをつけたようです。そして、昭和50年には通産省の伝統的工芸品に指定されました。
 生活雑器としての道を歩みながら、用と美を確立した小石原焼には、飛びかんな、はけ目、櫛目、指猫、流し掛け、打掛けなどの独特の技法が生きています。そして、それが素朴で温かい持味をだしているのです。多くの後継者や窯元は、そんな伝統の技を大切に受け継ぎながら、小石原焼の発展を願ってさらに新しい作風の確立をめざしています。

高取焼   
「綺麗さび」の世界
  
高取焼 秀吉の2度にわたる朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で、西国大名たちは、多数の朝鮮人陶工を連れ帰り、藩の産業興隆のために彼らを保護し、各地にやきものの窯を開かせました。
 福岡藩主黒田長政もその一人で、連れ帰った陶工八山(日本名・高取八蔵)に直方市鷹取山の麗に窯を築かせたのが高取焼の始まりです。その後、1614年に直方市内ヶ磯、1624年に山田市唐人谷、1630年に飯塚市白旗山へ移窯。この頃、茶人小堀遠州の指導を受け「遠州高取」様式がほぼ完成します。八蔵はこの地で亡くなり、2代目八蔵が1665年に小石原村鼓釜床に開窯。元禄年中(1688〜1704)に早良郡田嶋に移窯すると共に、八蔵は鼓から通勤しながら御用を務めたといいます。その後明治維新まで高取家は代々福岡藩窯頭取の職務を務めています。
 現在、東峰村には高取焼の技法を継承する窯元が数戸あり、「遠州高取」の風格を今に伝え、「綺麗さび」の世界を展開しています。精密な工程、華麗な釉薬。繊細な生地味。特に鉄・藁灰・木灰・長石を原料とし、微妙な調合で作られた釉薬を駆使して焼成される茶陶類は、気品に満ちあふれています。

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